ん.

光樹桃のヒトがなんから興味深い事を.(6月21日22日)
んー.でもなんか「低レベル」なのはどうかなぁと思うほうだなぁ.自分は.
いや,書いてる感想自体は全然もう「低レベル」な側なんですけどね.時間ねぇんですよ.必死に見る時間を死守しようとはしているのだけどアニメ評論家になるのが夢じゃないのでやはりね.時間がね.
と,言う感じの「高レベル待機型」でしょうか.自分は.(つーか自分で「高レベル型」と名乗れる人間っているのかしら.おこがましいような気がするよそれって)


「高レベル」な見方,ねぇ.
自分としては
「そういう見方が出来るほうが出来ないよりかは多面的な見方が出来るから良い」
というところかなぁ.
別に「アニメの見方が広がる=却ってそこしか見れなくなる」というわけではないし.
自分が「高レベル」となることによって会話がどうも奇妙になってしまうのではないか,と言う指摘についても,唯「会話の幅」ってのが広がるだけで意味不明な会話しか出来ないようになってしまうわけでないでしょうし.(まぁ「コミュニケーション」よりも知識をひけらかしたい「欲」のほうを優先するヒトが話し手だったら話は別ですが,でもそれは単にコミュニケーション力不足なのではないかなぁ.相手にわかる会話が出来ないってことなのだから.)
「高レベル」なひとが感情を優先しない,ていうのは….そりゃ違うだろうと思ったりしなくも.
ある側面(穿った見方?)で見れば「ツンデレツンデレ!」言うてるのは十分「自分の感情を優先していない」ように見えます.感情を優先しない「ヒトがいる」ってのは「高レベル」「低レベル」両方にある事象なのではないかと自分は考えます.


こっから余談.
んだから「保持型」の人間を見ると「あぁ.こういう楽しみ方もあるのに,(その楽しみ方が出来ないっていうのは)勿体無いなぁ」と言う感じで半ば見下しに近い感情を覚える・・・こともあるかもしれません.(表向きは「楽しみ方は人それぞれですがね」と言いながら.)それは多分「楽しめればそれで良いじゃん」という昔の自分への感情なのかもしれませんが.
(んでもまぁ最近は「楽しみ方は人それぞれ」と言うほうが勝ってきたかもしれません.
自分の楽しみ方を強制する事を嫌うようになってきたと言うか.
それに伴う衝突を嫌うようになってきたと言うか.)


なんか整理できてないなぁと思いつつ.
気が向いたら整理します.