日本気象協会「tenki.jp」がtwitterの情報を地図上に投影するサービ

ついにやってくれたか、という感じ。つかWNIが真っ先に手を上げるもんかと思ってたら協会だった。これは人々の「気持ち」と天気、という命題に一番(まぁ微妙にずれているところはあるにしても)興味を持っていたのはWNIである、という認識があったため。
というか協会がやる気なさすぎに見えたのもある。面接に行った時の感想もこれには絡んできているのだけども。


さて、一席ぶつ。まず大前提として、この世の中にある「情報」とは、人に使われるのが前提であるという考えに立つことにする。
そして、気象情報というのは、「ここの天気がこうだ」という事実だけでは「生きた情報」足り得ない。例えば、我々にとって「ルワンダの今の天気は雨」というのは、使えない情報である。使われない情報は、人々の気持ちが入る余地がなく、これは日本に住んでいる者にとっては「死んだ情報」となる。
日本の気象情報についても同じである。提供されている気象情報のほとんどは、「自分に関係ない場所」でのものであるという点では先述のルワンダとそう大差はない。よって、死んだ情報ではあるし、面白味があるとはあまり言えない。ただ、その情報は「自分でないが、誰かの役に立つ」「誰かには生かしてもらえる」のは事実なので、延々提供されているわけである。すべての情報が「誰かにとっては生きた情報」になるのは間違いない。それならばよし、の姿勢で現行の気象情報の提供はなされている。(自分を含め天気マニアなんかは、自分のいないところの情報にも興味があったりするので、そういう意味では自分に関係のない場所の情報が「生きる」ことにはなるが、それはごく例外の事象であることを注記する。)
と、いうことは、場所と天気だけではその情報は生きていないということ。それに生命を与えうるものが、「気持ち」なのではないか、そう思うのである。(だから、協会のサービスが「みんなの気持ち」なのである。別に自分は協会の人間ではないけれども。)無機質な、客観情報に、主観、つまり天気に関する気持ちが付加されれば、その情報はたちどころに「生きた情報」となりえるのである。


気象情報は、「今日はこんな天気だな」と人々によって「思われる」ことで生命を得る。このサービスでは、気象情報が生命を得た状態のままで発信される。これほど素晴らしいことはない。これが為されるサービスがあってほしかったが、協会の手によってなされようとしている。これほど素晴らしいことがあろうか。どんどんこの動きについては協会は大々的に広報をかけてほしい。そうすることが「天気をもっと楽しくする」ことへつながるはずで、それから、もっと人々に興味を持って空を見上げてもらえるはずであると。


さて、 #tnk がこの動きに噛むかもしれない。しかし、この動きには首肯できない。なぜなら、 #tnk は「地点・天気」のみを発信させることに特化している。使い方(http://bit.ly/7BwuRO)を見ると『端的で分かりやすい表現』『「晴れると良いな」というたぐいの希望も、原則はご遠慮ください。』と明記されている。現行の #tnk は、完全に協会とは逆行している。主観によって生きている情報を、あえて客観化させることで殺しているのである。(もちろん客観化させることで役に立つ情報があるのも事実ではある。しかしこれはそれにはあたらない。)そうした考えを持った集団の参入は、この「気持ちを伝える」協会の試みまで殺してしまう可能性があることを指摘しておく。 #tnk による客観化された「死んだ」情報の洪水は「生きた」情報をも腐らせてしまうという危惧を持っている。もし参入するのであれば #tnkには方針を変更してほしい。それくらいに相容れないものを今は感じるのが本音だ。同じ気象情報だといっても種類が水と油ぐらいに違うことを自覚すべきである。


現在の天気を把握するのであれば、気象衛星とレーダーで大まかなところを把握できる。「客観に限りなく近づけた情報」のみを地図上に投影することは、現行のリモートセンシング技術でもできることなのである。そもそも「地点・天気」のみを地図上に投影することは、WNIが2年以上前から携帯で行っていることでもある。(これはこれで、意義のあることだとは思う。メッシュが非常に細かいというメリットがあるため。)これが、 #tnk に対して自分がずっと苦言を呈している理由でもある。