「沖縄戦の事実と歪曲」を読んだ。

「事実はともあれ、僕らの中の『真実』はこうなんだから配慮しろ」という「沖縄の声」か。
本の中では「「事実」はこうだ、だから蔑ろにせず、認めろ」という言述がそれこそ1ページに1つぐらい見られる。
しかしその「事実」は、到底島外には通じない「事実」であることは知るべきだ。


集団自決は事実。これは異論はない。
ここでの争点は日本軍による強制が「事実」であったか、であると。
だから争点はわかりやすい。強制の証拠があればいいのだと。
そこを「関与」っていう言葉でまず濁し、その「関与」を「強制」にあわよくばすり替えてやろう、という沖縄の意図があるからややこしくなるのだと。
そりゃぁ「関与」はありましたでしょうよ。「自決するな」という命令をしたって「関与」だもの。


もちろん県側もシンプルな「強制」の証拠は出している。他でもない県民の証言なんだけども。
しかしそのすり合わせを行うと途端に頼りないものとなる。矛盾がある。他の人の表現と合わない。史実に合わない。
そういう指摘を受けない証言が皆無だ、ということが逆に「強制がなかった」ことを裏付けてしまっているという感じ。


>p41藤岡信勝に対する反論が、ヴァイツゼッカーの引用のみ。
「詳しくコメントする余裕がない」と茶を濁すのはどう考えても不誠実。
「過去に目を閉ざす」云々は、この場合お互いに肝に銘じてほしいことなんだけども、少なくとも筆者のほうは肝に銘じてない。


>「手榴弾は厳重に管理されている。そんな貴重なものを渡すということは、『自決せよ』と迫っていることに等しい」
この理論が良くわからん。


>p71「(戦争体験者の心の)痛みをこらえて他人に戦争の実相を語るのには40年、50年かかる」
ある時期から突然図ったように証言が出てきたときの言い訳はいつもこんな感じだなぁ。
それで信用してもらえると思うんだから、あさましい。あり得ない。
こういうことを言うと、もう自分としては信用できなくなるところで。ええ。


>p88「日本軍は沖縄にまで満州でのやり方を持ちこんできた」
「外国扱い」するな、ってことなんでしょうけど。
でも「日本軍」の責任をうんぬんするってことは沖縄のほうから「日本」と「沖縄」は違う、
と宣言しているようなもので。
便利に2つの立場を使い分けたい、ってことなんでしょうか。
虫が良いね。